白夜回想 その六
旅行から戻って間も無く、フリーク仲間に大ニュースが飛び込 んできた。隣りの国、フィンランドでロックフェスティバルが開か れるという。それも、あの「ウッドストック」に匹敵するような。 「ウッドストック」とは、この時より二年前の1969に、ニューヨーク 郊外のウッドストックという小さな町で三日間にわたって開かれた ロックフェスティバルのことである。このロックフェスティバルには、 30万人とも40万人ともいわれる人が集まり、ロックのパワーの 凄まじさを世に示し、当時の若者の心のよりどころとなっていた。 「そのフェスティバルの再来を体験できるかも知れない」、私達は 奮い立った。 「ルイス ロック 71」の会場は、海辺のキャンプ場であった。 予想では10万人の動員が見込まれていた。私はフリーク仲間の モリタ、ジミ−と連れ立ってフェリーに乗り込んだ。モリタは、港で 大きなパンを買った。フェリーは長い汽笛の音とともに、ほの暗い 白夜の海を北へと向かった。 モリタは私に港で買ったパンを手渡した。表面は固いが中は柔ら かなパンであった。二口、三口かじったところで、モリタはパンを 私から取り上げた。彼はかじり口に切れ目を作り、そこから指を 静かに挿入して、器用に中程のやわらかな部分だけを引っ張り 出し、口にほおばった。そしてバックからキャラメルの箱ほどの ビニール包みを取り出すと、それをかじり口の切れ目からパンの 中に押し込んだ。 私はそれが何であるか直ぐに理解したが見て見ぬ振りをした。 キャンプ場に向かう道にはすでに人があふれていた。それも 尋常な数ではなかった。その若い人の群れは砂時計の砂の様に キャンプ場に吸い込まれていた。 かなり広々としたキャンプ場だったが、ほとんど人で埋まっていた。 その金色の髪をした人の群れの広がりは、異様にさえ思えた。 「何だか土ぼこりみたいに見えるね。」 モリタが言った。「そうだ 土ぼこりみたいだ。」 わたしも思った。一人一人の髪の色はブロ ンドや赤茶色や金髪で、それなりに美しいのに、目の前の人の広 がりは確かに土ぼこりでしかなかった。私はアニカの言葉を思い 出した。「金髪は嫌いよ。黒い髪はファンタスティックだわ。」 私が どうしてと訊くと、「金髪は弱々しく感じるの。黒い髪はパワフルだ わ。」 と言った。日本であったら、この群集はどのように見えるの だろう、黒い髪の大群衆は、アニカの言うようにはるかにパワフル なのかも知れない。 「早くテントの場所を決めよう。ぐず゛ぐずしていると場所がなくなる」 モリタが言った。 私達は海の見える木立の陰を定めて、テントの設営にかかった。 ステージでは、すでに演奏が始まっているらしい。エレキギターの 音が木々の間をぬって聞える。私はステージが気にかかったが、 モリタとジミ−はまるで無関心に話し込んでいる。 突然背後から日本語が飛びこんできた。「ひさしぶりだなー。」 「おお、元気か。」 モリタが答えた。振り向くと数人の日本人が 大きな荷物を抱えて立っている。ジミ−も立ち上がって握手をして いる。旧知の仲間なのだろう、話しがはずんでいる。モリタが振り 向いて、私を紹介した。「例の、タージマハルの、」という言葉が聞 えた。彼らは「ああ、」と、大きく頷いた。 彼らのテントが加わると、ちょっとした日本人村ができあがった。 焚き火を囲んで車座になった、黒髪を長く伸ばした8人の日本人を 近くを通る人々は、めずらしそうに見つめて通る。中には話しかけ てくるひょうきん者がいて、モリタが「あっちへ行け」 と追っ払って いる。ひょうきん者は首をすくめて立ち去った。 モリタが例のものに火を着けて皆に回した。今は何時くらいなの だろう、夕暮れのような百夜の薄暗さは、時間の感覚を奪い去った。 もう夜中になるのかも知れない。しかしそれはどうでもよいことであ った。静かな波の音と、電気的な音楽が、交互に私の頭に流れ込 んで、渦をまいて、私をカオスの国へ連れ去っていった。 つづく |
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